おせっかい野郎
こんばんは。
明日大学のテストなんですが、
全然やる気が起きなかったのでひたすら考え事をしていました。
要は現実逃避なんですが、こういう時って普段より一段と深く考えれたりします。
思考が現実から逃げようと必死に奥に潜っていこうとしてるんじゃないかななんて。笑
モグラみたいに。
さて、本題なんですが最近ずっと考えていることがあったんです。
それは「おせっかい野郎」について。
「おせっかい」ってググると、
「出しゃばって世話を焼くこと。不必要に人の事にたちいること。」
って出てきます。
外に出かけてるとき勝手に部屋を片付けてくれるおばあちゃんみたいなあれです。
余計なお世話。そこまでやらなくていいよおおおお。みたいな
それを許せない自分の心の狭さに失望するときもあるけど、
嫌なものは嫌。嫌なときは嫌。しょうがないし、逆にそういうおせっかいだって思われる人になりたくないって思ってました。
でも、この前僕自身おせっかいをしてたことに気づいたんです。
正確に言うとおせっかいなことを考えてました。
最近まで就活生だったんですが、そのとき常に考えてたことが、
「人のために働きたい」
本気で思ってて、面接でも言っていました。
んで、ある最終面接で社長さんが言ってくれたんです
「人のためって、具体的に誰のため?」
それに対して自分の中で答えがなかった。
社長が続けてくれて、
「人のためって言う人は、よくいるけど商売だとそれではダメ。お客さんのためでないと。」
具体的に相手を設定することが与えられる価値を大きくして、お金をいただける。と
そんな社会人だったら当たり前かもしれないようなことを、呆れたそぶりも見せず話ていただけたことに感謝してます。
そして、これは商売じゃなくても言えることじゃないかって思いました。
漠然と「誰かのため」にだと与えられることは限られてくる。
それは、「誰かのため」になるためには、
その人が「求めていること」を知る必要があるから。
人ってみんな違う環境・背景で生きているし生きてきたから、
抱えている問題の量も質も種類も違うし、だから求めることも違う。
「こうすればこの人のためになるだろう」
っていう浅い考えでは、なかなかそれは叶わない。
それは自分の経験から出ただけの考えだから、
その人が求めていることではない時が多い。
自分とは違うその人に本気で興味を持って、知ろうとして、
必要としていることを考えて考えて考え抜いて、初めてそれがわかる。
例えば、日本のために何かをしたければ、今抱えている問題をちゃんと知って何を求めているかを知る必要があるし、そのために歴史や日本を取り巻く世界のことまで知らないといけない。そのためには勉強しないといけないし、実際にいろんな場所に足を運んで目で見て感じる必要もあるはず。
そこまでして初めて見えてくるはず。
逆に、そうまでしないと「日本のため」にはなれない。
そしてここで重要なことは、
「人のため、国のため」ってただ考えて、自分の狭い経験からくる仮定の中の判断で何かやっているだけでは、むしろ的外れなことをしてしまうこともある。それも自分ではいいことをしているつもりで。つまり、おせっかい。ドラゲナイ。
というわけで、 僕はおせっかい野郎でした。
ただ漠然と「人のため」にって考えてたから。
でもまだ「この人のためにこの問題を解決したい!」ってことは見つかってないので、
このことを理解した上でこれからも、おせっかい野郎の「人のために」精神を持ちつつ、これまでより一歩踏み込んでより深く考えていろいろやっていきたいな〜なんて思っています。
書き出したら止まらず、だいぶ長々と書いてしまいました。笑
ここまで読んでくれた人、ありがとうございます。
勉強してきます。